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サウンドアンドステージブログへようこそ
一級舞台機構調整技能士(音響機構調整)の管理人(新田康久)が舞台音響技術やその周辺の話題を取り上げます。
管理人の性格上しばしば脱線するかも知れませんが・・
なお、つっこみ、茶々大歓迎ですよ・・
まぁ、お互い直接会ったときに気まずくならない程度にね!

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舞台音響・PA・SRとライブでの周辺技術

一級舞台機構調整技能士でもある管理人が、舞台音響(PA,SR,Recording)などに関わる話題と技法に迫ってみたりする。

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まぁあまりに個人的なことは誰も面白くないだろうと思いつつ、考えてみると中学になる頃からオーディオ的な事に興味が多くなってたみたいですね。
我が家で一番最初に入手したテレビ、これは三菱製のステレオでもないのに左右にスピーカーが付いた家具調の白黒テレビ。
忘れもしない昭和39年、小学校の2年生の時だったはず。
当時、午後3時頃から5時ちょっと前までテレビは映らなくて、5時近くにテストパターンが映り、ほとんど5時からまたテレビがスタートした物でした。
まぁ、鉄腕アトムのモノクロ放送が合って、お茶の水博士がマイスターだったのよね・・
で、昭和42年には日立のキドカラーのポンパなるカラーテレビが発売されて我が家でも購入したわけだ・・
これに伴って古いモノクロテレビは用済みとなり、ステレオスピーカーのような構成故、譲り受けて自分の部屋に据え付けたのだ。
これはP-610という三菱の名スピーカーにちょっと似た六半のウーハーユニットにTW23というツイータが付いていて、なかなかの音がしてたのさ。
これに当時の8トラックカーステレオをバッテリーで駆動し、スピーカーだけ流用して聞き始めた・・と言うのがそもそもかなぁ・・
んで、カーステレオ用のスピーカーを壁に直接ぶら下げて鳴らしたりし始めたのが一等最初のオーディオ遊びだと思う。
ちょうどこの年(中坊の2年)の時、放送委員会なる学校の委員会に入って、この時の顧問が恩師の佐藤先生だったのだ。この方は吹奏楽の指導者で、かつオーディオを趣味にされていた。必然的にオーディオ趣味は加速されていったのだ。
で、放送委員会でもメカ好きの私は学校の式典のPA等を担当するようになったのよね。
翌年、PinkFloydの最初の来日があったのよ・・
ようやく買ってもらったモノラルラジカセのFMで聞いたエコーズにすっかりはまってしまい、受験のプレッシャーでへろへろになっていた私はどっぷりね・・
翌年には高専に入学して一気にオーディオ熱はヒートアップして・・って、そもそもオーディオをやりたくて高専に行ったような物だったし・・
寮祭でサラウンド(この頃4ch再生の第1次ブーム)で狂気を掛けたりしたのよね・・

ちょうどこのころバンド活動をするようになって、必然的にPA担当になったのだけれど、当時は機材が入手できなくて、ずいぶん苦労した覚えが・・
野外ライブでティンパニーにバスガイド用マイクを使ったのも今考えると良い思い出・・ヤマハのトーンゾイレスタイルのブルーの奴(知ってる人はみんな知ってる・・けど年寄り化してるかも・・)を3対抗で野外をこなしていた・・っていうのも今考えるとよくやった物だと思いますけどね・・

結局、音楽にはまりすぎて日本工学院専門学校の芸術学部、放送制作芸術科に進んだあたりで、まぁ今の生き方は決まってたんでしょうけど・・

父の病気などでまともな就職をしそこねて、各種の仕事をてんてんとしたあげく、下請け経由でNECの衛星事業部に。
そして田舎にホールが出来たと言うことでの帰省。
いつの間にか各団体で金太郎飴のような位置にいた・・と言う雰囲気です。

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音響歴 / 2006/11/08 22:03
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